YUNON STUDIO BLOG

ユノンスタジオ主宰のブログです。

小演劇作品の危ういバランスと脚本に潜む毒

週1回くらいで、できるだけ真摯に正直に文章を書いていこうと思う。

 

ここ1週間、仕事の延長線上で何本も小演劇作品を観劇した。

1作品ずつ詳しいレビューを書こうかなと思い、自分と同じような感想の人ってどのくらいいるのかなぁなんてネットで邪に検索したら、まるで自分と同じ感想が何処にも見当たらない。あれれ?なんでだろう•••僕の見方ってオカシイのか?なんて思ったのも束の間、直ぐにその答えは出た。

 

小演劇界は広いようで、ほんとに狭く、そして互いに共演しあった役者や、仕事しあった人がローテーションで観劇し合うような危ういバランスの元に成り立ってたりもする故、TwitterFacebook、更には劇場のアンケートであれど評価は高評価ばかりが見受けられる。 

 もはや劇場に一歩入ると、みんな観賞基準がおかしくなる。劇場の外の世界にはアカデミー賞も三大映画祭も芥川賞も直木賞もグラミー賞もト二ー賞もある世の中なのに、そういった作品郡とはハッキリ区別された採点基準で(脚本や演技や音楽や演出が)観賞され、やがて「前に共演した○○さん、がんばってたー☆」なんて何とも愛らしいツイートが飛ぶ。

僕は別に権威主義では全然ないから、賞とったものがスゴいなんて言う気はさらさらないのだけれども、賞をとった作品とも正面から向き合って戦っていきたい。

どうせ必死に物作りするならね、どんなに小さな箱であろうが、せめてその時、その年に上演している世界中の作品の中で、観た誰かにとっての一番でありたいなぁと思う。

だからこそ、できるだけ早く、こういった小演劇界の危ういバランスを覆さないと。でももう秘策は練ってあるから、あとは来年。

 

なんかいつの間にか小演劇作品に対しての雑感みたいな感じに文章がなってた。

じゃあせっかくだから、ついでにいつも観劇して残念に思う二つの要素をあげてみる。大概の作品は、その二つの要素のどちらかを脚本上に孕ませてしまう傾向が本当に強い。これはもう、演劇に関わる脚本家に声を大にして言いたい。

 

まず一つ目。

 

•登場人物に台詞で作品メッセージを長々と語らせる

もう、これが本当に多くて苛立つ。説教臭く、メッセージを言葉で熱く語る作品が本当に多い。皆ね、何かを伝えたいからこそ物作りをしているのだろうけど、でもそんなものを言葉で受け取る気なんて僕には残念ながら、さらさらない。言葉で伝わる程度の、例えば愛とか希望とか夢とかをもし僕が欲しているのならば、僕は何処かの新興宗教の集会にでもいく。そしたらきっと、明日が楽しくなる言葉のオンパレードだ。

物語がちゃんとしていれば、人間がしっかりと生きていれば、その人間本来の言動や表情、結末にメッセージは自ずと描かれる。主人公に直接作品のメッセージを代弁させて、希望はホニャララだからホニャララしようとか、愛はホニャララだからホニャララにあるよとか語らせる必要なんて、これっぽっちもないと思う。そういうのはJ-POPの歌詞に任せておけばいい。

登場人物は脚本家の代弁者では決してない。その世界が、物語自体が代弁の装置となる。それを解らない脚本家は、ずいぶんと人間を舐めてると思う。深い所で、人を馬鹿にしてる。そうでも言わなきゃ伝わらないなんて思ってるなら、それはとても鑑賞者に対して失礼な行為だ。

 

では、二つ目。

 

•誰が主人公か解らない。

 これは小演劇界特有の問題を色濃く含んでいる。確実に、劇場に人を集めたい→集客の為に多人数出す→出演者それぞれに美味しい場所を→という流れのせい。結局、そのバランスを最優先に考えて脚本が描かれる為、蓋を開けてみれば 誰が主人公で何がメインエピソードなのかサッパリわからない。

たとえ群像劇でも、本来ちゃんと主人公はいなくてはならず、主人公には主人公たりえるだけの物語が存在するはず。そこにフォーカスを当てるからこそ、その世界で、その瞬間その人物は主人公になるのだろうし、それだけクッキリと焦点があって描かれるからこそ、その内容が鑑賞者に伝わる。

きっとこの問題こそが、登場人物に台詞で作品メッセージを長々と語らせる、の一つの要因になっているようにも僕は思う。フォーカスがぼやけた作品進行に作り手が慌てるんだ。何を伝えたいんだか解らなくなってしまう事が怖くて、結果、1番恥ずかしい手法で帳尻を合わす。

 

小演劇作品の作り手は真摯に、この二つの問題から目を背けずに向き合うべきだと思う。特に演者さん。もしもそういった問題が脚本に潜んでいると気付いたならば、ちゃんと制作者にそれを稽古中でも前でも伝えるべきなんだ。だってその世界のその人物になるのは演者さん自身。嘘をついてる事が解ったうえで見逃してたら、どんなにお芝居を努力しようが、その人もつまりは共犯者なのだから。

 

上記二つの毒に冒されていない作品に、これからは沢山出会えるといいなぁ。

自分もこういった初歩的なミスをしないように、十分に注意しないとだな。