YUNON STUDIO BLOG

ユノンスタジオ主宰のブログです。

脚本の書き方は昔の8bitレースゲームに似ている

一週間過ぎるのが早い。それはもう、ほんとに早い。どんなに自分なりにやる事を詰め込んでも、まぁ実際やれる事は限られていて、気付けば「あぁ、もうそろそろブログ書かなきゃなんだな」なんて時期になって焦る。

1週間が早いという事は1ヶ月も同じ速度で早い。そして1ヶ月が早いという事は…うん、そう、今日はもう2013年の折り返しだったりするわけだ。

時間がないなぁ…2013年後半戦は本当にやる事いっぱいで大変だ。でも、人生で1番忙しい3年間にしようと早々に覚悟を決めたから、ストレスは特に無い。忙しい人を観てストレスを溜めるのは忙しい人の事を好きな周りの人なのだろうと思うから、それはもう十分注意していきたいなぁと思うけど、できる事はきっと注意する事くらいだ。ストレスを感じているかどうか解ってあげられるかどうかでしかない…そのストレスを解消する方法を具体的に取る事は多分残念ながらできず、「理解はしているよ」という、その意識のみで多少ストレスを軽減してもらうくらいしかできない。

 

と、こういうような事を考えていると…ふと僕は脚本構成についても同じように感じる事を思い出す。結局リアルタイムを消化して人が何かをしている様を描く以上、実生活に脚本が似てくる事はしごく当然のように思う。

 

脚本は8bit時代のレースゲームに似てる

脚本というものを、僕はいつも昔のゲームセンターやファミコン時代のレトロレースゲームのように感じながら書いている。当時のレースゲームというのは、コースに対して規定のタイムでクリアをしないとゲームオーバーになる仕組みを採用していた。タイムは減算式。例えば20秒のタイムがスタート時にあるとすると、スタートと同時にタイムが減ってゆく。プレイヤーはそのタイムが0秒になる前に次のチェックポイントにたどり着かないといけない。そして次のチェックポイントにたどり着くと、秒数が加算され更なるコースをトライできるようになる。

 

昔のゲームは難易度が高い

で、昔のゲームというのは、それはもうとても難易度が高くて。チェックポイントまでのミス許容回数が1回、もしくはまさかの0回だったりする。2度ミスすれば、もう時間が間に合わずゲームオーバーになるのだ。

この難易度の高い制限時間が僕は、とてもとても脚本構成に似ているなぁと思う。

 

観客から、作り手に提示される減算式の制限時間

観客は上演された、もしくは上映された作品に対して100%の集中力を持って臨む。その100%の集中力が、徐々に徐々に制限時間の減算のように減っていき、面白い場面や展開に応じて再び集中力を加算方式で取り戻す。

物語の書き手である僕たちは、だからこそ観客の集中力の減る速度を計算し、都度適切な場所でチェックポイントを設けなければいけない。

まぁ実際は、自分でチェックポイントを設けるわけでもないのだけれど…なにせこれまで様々な作品が世の中には生まれ、そして名作と呼ばれるものが誕生した事により、実はそのチェックポイントはもう、かなり正確な形で先に作られてしまっていると言っていい。そう、つまりは脚本家はやはりレースゲームでいうところのプレイヤーなのだ。後部座席に乗せた観客を、安全にミスなくしっかりとチェックポイントを通過させ、ゴールまで運んであげなければいけない。

 

名作脚本のリアルタイムエクセル模写で解ったこと

僕は数年前から、好きな作品を観賞しながら脚本をリアルタイム模写する事が趣味だ。脚本模写する場合はいつもエクセルを使って、分数は勿論の事、シーンで描かれる感情の数値をポジティブ/ネガティブである程度主観的に書き留めたりする。そうした模写を繰り返した結果、ある日エクセルでソートしてみれば、世の中的な名作はもうまぎれも無く正確に、物語を展開させなければいけないチェックポイントの分数で、必要な作業を全部クリアしている事が透けて見えてきた。

具体的な分数が見える事は書き手にとって自信になるし、正直とても楽になる。より理論的にも機械的にもアプローチする事ができるからだ。でも、同時に、とてつもないプレッシャーにもなって制限時間は押し寄せてくる。その分数で成すべき事象、展開、説明をクリアできない限り、観客を「感動させる」というゴールには届けられない事を意味する。実際、演劇でも映画(の場合は途中で楽々と帰れるけど)でも作品は終了するまで大概観てもらえるのだけど、実は既に早い段階で車は事故でゲームオーバーになっているというわけだ。そのゲームオーバーになった作品を見終わった観客の感想は、つまりとても残酷な答えになるのだと思う。

 

職人達はそれを企業秘密として非公開にしている

脚本の物語の構成本っていうのは色々あるのだけど、実は分数まで正確にしたような構造分解論ってあんまり無いように思う。何故無いかの理由は自分なりに解っているつもりだ。端的に言うと、それは「作り手があえて、商売の為にその事実を隠している」のだと思うのだけど、そこらへんは、また次のブログにでも書く事にしましょう。

分解論に興味があったり、もしそうした内容に作り手サイドの人達(役者、脚本、演出等問わず)反響あるならば、ちゃんとこのブログに書き示して、脚本のオープンソースにして残していけたらなぁと思う。